画廊
菩薩半跏像とは
東洋美術における「考える像」で有名な、思惟半跏のこの像は、飛鳥時代の彫刻の最高傑作であると同時に、わが国美術史上、あるいは東洋上代芸術を語る場合にも欠かすことの出来ない地位を占める作品であります。また国際美術史学者間では、この像の顔の優しさを評して、数少い「古典的微笑(アルカイックスマイル)」の典型として高く評価され、エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチ作のモナリザと並んで「世界の三つの微笑像」とも呼ばれております。 半跏の姿勢で左の足を垂れ、右の足を膝の上に置き、右手を曲げて、その指先きをほのかに頬に触れんばかりの優美な造形は、いかにも人間の救いをいかにせんと思惟されるにふさわしい清純な気品をたたえています。斑鳩の里に伝統千三百余年の法燈を継ぐ中宮寺の、この像は、その御本尊として永遠に私たちを見守ってくださるでしょう。
全体の高さは133㎝。材質はクスノキ材で、寄木技法による作例としては最古です。広隆寺の弥勒菩薩半跏像とよく比較されます。寺伝では如意輪観音ですが、これは平安時代以降の名称で当初は弥勒菩薩像として造立されたようです。
造り
菩薩半跏像は、楠材により造られていて、全面に黒漆塗りがほどこされています。しかし、かつては彩色が施されていて、衣には緑青と朱色と金箔を細く切って線として利用する、いわゆる金切線が残っています。また、その顔は均整がとれていて胸から腹にかけても自然な曲面が造出され、人間の描写に近づいています。同時期に制作された法隆寺金堂の釈迦三尊像が平面的で全体的に固さが感ぜられるのとは大分異なり、立体的で肉身の雰囲気が出ています。小柄な細身の女性とほぼ等身大のこの像は、頭に二つのぼんぼりを載せて可愛らしく飛鳥・白鳳彫刻の爛熟期の傑作と呼ぶに相応しいものとなっています。
半跏趺座と結跏趺座
胡座をかいて座った姿勢から,さらに右足首を左足の膝の上にかけた状態を,半跏趺座と呼びます。これに対し結跏趺座とは,その状態からさらに左足首を右足の膝の上に載せた姿勢を言います。座禅を組む際には,この結跏趺座が望ましいのですが,体の固い人は,半跏趺座でも良いことになっています。
飛鳥時代彫刻と
白鳳時代彫刻
この二つの時代は,おおよそ天智天皇の即位あたりで区分することができます。より古い飛鳥彫刻の特徴は,古拙の笑みと左右対称形からもたらされる神秘的な雰囲気にあります。 一方,白鳳彫刻のそれは,古拙の笑みも消え,また左右対称もくずれて,神秘的な表情から童顔童形へと変化していく課程に求めることができます。
半跏思惟像と弥勒菩薩
台座の上に座り右足を左足の膝の上にかけ,左足を踏み下げる,左手は右足首にそえて,右手の指先が軽く右頬に触れる,このような形の像を半跏思惟像と言います。中国では,半跏思惟のポーズをとる像のほとんどは,弥勒菩薩です。 また,朝鮮三国時代の新羅では弥勒信仰が盛んでしたが,そこでもその信仰に合わせて多くの半跏思惟像が造られました。 さらに,大阪羽曳野の野中寺には金銅製の半跏思惟像があり,それには「弥勒御像」との銘があります。京都広隆寺(国宝仏編№12)の宝冠弥勒も国宝「広隆寺資材交替実録帳」によれば「弥勒菩薩」と記されています。
弥勒菩薩と菩薩半跏像
このようにみてくると,この中宮寺半跏思惟像も,広隆寺の宝冠弥勒等に類似していることから弥勒菩薩として造られたものと考えるのが適当と思われます。 しかし,中宮寺では,長い間,この像を如意輪観音として伝えてきました。如意輪観音と言えば大阪観心寺のそれが代表的な像ですが,あまり似ているとは思えません。どうしてこの様なことになったのでしょうか? 推測の域をでませんが,当初,弥勒菩薩として造られたものが,奈良時代以降に盛んとなった如意輪観音への信仰に応えるため急遽,如意輪観音とされたものと考えられます。その背景には,両者の儀軌が非常に似通っていた,との事情があったと思われます。 現在では,学術上,弥勒の明示を避け「菩薩半跏像」と呼ぶのが一般です。 なお,全く同様の論争が京都願徳寺(国宝仏編№19)にもあります。
弥勒信仰
弥勒信仰とは,今も兜率天で瞑想に耽り修行している弥勒菩薩を祀るものですが,その詳細は次のようなものです。 弥勒は未来に釈迦の後をついで仏となることが約束された菩薩ですが,釈迦の説法を聞く機会の無かった衆生が,死後,一旦兜率天にのぼり,56億7千万年後に如来となった弥勒とともに地上に戻り,竜華樹の下で弥勒の説法にあずかることを願うものです。
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